まさかこんなに簡単に凍傷になるとは!
手足の冷え。これについての問題解決にはしばらく時間がかかってしまった。
時間がかかった理由は大きく2つ。
ひとつは手足の冷えに対して問題意識が低かったこと。
低血圧で冷え性。手はいつも氷のようだし、足についてはシモヤケは当然で、正座などするとすぐに紫色になってしまう。こんな体質なのだから、もっと気をつけられるのでは?と思うのだが、冷えている状態が普通だったので、山中において手がかじかんでも「いつものこと」で済ましてしまっていた。
もうひとつは、冬山をはじめて3年間、実によく晴れ続けた。数少ない山行ではあったが、寒さよりも日焼けが気になる天候ばかりが続いたこと。このため、多少手足が冷たくとも大事に至らずに下山して来られたのだ。
晴天の冬山を登りながら言われるのは「こんな天気はこの季節、めったにないから」。
冬山の厳しさを知る経験がないままに、4シーズン目を迎えた、あるスキー山行でのこと。その日は山屋なら、きっと誰もが憂鬱になってしまうような気圧配置。髪の毛もサングラスもまたたくまに白く凍るような日だった。気温はマイナス15度。吹き付ける風は痛く、よろけるほどに強かった。シュカブラに厚くしがみつかれた山頂の標識で記念撮影を済ませると、一同撤収準備に取りかかった。強風の中で、スキーシールを外す作業を、薄手のインナー手袋を着けて行う。指先の体温はマイナス15度の外気温とブリザードが容赦なく奪い去ってゆく。準備を整え、手をグローブに戻すとき、あれ?と思った。かじかんでいる感覚もないのに、指先がうまく動かせない。なんとかグローブの5本指に指を納め、ブリザードに急かされてガリガリのアイスバーンを下りはじめた。
サングラスは、拭いても拭いても白く凍り付いてしまい、しかも吹雪が重なって、自分がどんな斜面を滑り降りているのか、ほとんど分からない。スキー板を通して伝わる雪面の状態に神経を集中させ、反射的に処理してゆくしかない。指先は、ときどきグローブの中で指を丸めて温めたりしていたが、下山するにしたがい気温が緩み天気も回復してくると、さほど冷たさは感じられず、また指も普通に動いたのでなんの心配もこの時点ではしていなかった。
異常に気がついたのは、下山後の温泉でのことである。湯に触れると指先にじんじんと激痛が走る。そこだけが氷のように冷たかったが、湯に入れると痛かったので温泉から指先だけ突き出して湯船に浸かっていた。爪を見ると小指と親指意外は、両手ともに真っ白になっていた。触ると相変わらず冷たい。どうしたらいいんだろう?分からなかった。試しに痛いのを我慢して指を湯の中に入れて揉みほぐしてみた。はじめは痛くてならなかったのだが、そのうち徐々に爪に赤みが差して来た。しかし右手の薬指と左手の中指の爪にはとうとう色が戻らないまま、時間も遅くなるので浴場を後にした。
クルマではヒーターの吹出し口に指をかざしながら帰り、そのまま病院の救急外来へ。指先は腫れており、じんじんとした痛さで満ちている。お医者さんはしばらくその指先を診て、心配は要らないでしょうと診察結果を告げた。今、火傷と同じように炎症がおきている状態なので、温めたりするのはもう要らないし、揉みほぐしたりしてはかえって炎症を悪化させてしまうので、もう何もしないこと、と言われた。軽度の凍傷だった。
これがもっとひどいと、皮膚がめくれてくるそうだ。そして更にもっとひどいと細胞が壊死して指先の切断という事態になる。
私の凍傷は、このあと、何かに触れると痛くてたまらず、パソコンのキーボードが苦痛でならなかった。1週間経って、ようやく腫れが引き、痛みもだいぶ取れた。指先の皮膚一枚感覚がなく硬化して、ちょどカットバンを貼ったような感覚が続いた。2週間で気にならなくなった。3週間でようやく皮膚が一枚剥けて真新しい柔らかな皮膚が出て来た。
凍傷について、全く知識も対策も持ち合わせていなかった。もっと高所で起こるものだと思い込んでいた。まさか、自分がこんなにあっさりと凍傷になるとは、想像もしていなかったのだ。
さっそく、ミトンのグローブを揃え、そして指先と同じくらいいつも冷えきっている足先のためにも、使い捨てカイロを用意した。
揃えた山道具のほとんどが、山行での失敗や反省の末の改善結果だ。そしてこれらは、次の山行を安心したものにしてくれ、さらにそこから一歩先へ進む手助けをしてくれる。その一歩先でまた何か失敗をし、必要な知識や道具を得ることになる。
インターネットの発達で、様々な情報が手軽に入手できるのは便利で重宝するのだが、こうした情報と自らの実体験のレベルが乖離しすぎてはいけないと思う。情報はこちらの意志で選択できるが、現場での実体験は否応無しに身に降り掛かってくるもの。「経験の少ない自分」が選択した情報にはどうしても偏りが発生してしまう。
自分の能力を謙虚に把握できる山行経験を積んで行くことが、安全に山を楽しむ上で大切だと改めて思う。