鳥海山で山の行動計画の大切さを知る
山に登り始めた秋田の人間が鳥海山に登ろうと思うのは当然の成りゆきだ。 日本で一番、鳥海山が美しく見える場所に住み、また小学校、中学校、高校、いずれの校歌にも鳥海山は織り込まれていたものだから、最も親しみを感じる山であると同時に、美しさゆえに遠い存在の山でもあった。
わが妹は、高校時代に部活動の顧問が山男だったので既に鳥海山には登ったと言う。その妹と一緒に、夏、祓川を訪れた。
初めての祓川。海側の鉾立口とは全く違うその登山口は、美しい湿原の向こうに、大きく鳥海山が広がっている。ドライブ客などいない。生活音もない。
なんて美しい場所なんだろう!
山ではそんな感動が尽きることがない。いい大人になってなお、こうもワクワクと目を輝かすことができるものが他にあるだろうか。
妹と私ははやる気持ちを抑えて、準備体操をはじめた。
そのときだった。
ぶらりと小屋から山男が一人現れた。
「今から登るの?」
もちろん。
ふーんと彼は私たちを眺めてから
「八合目までで帰ってきた方がいいよ」
と言う。
ええー!だってこのコースは4時間もあれば登れるじゃないの?
動揺する私たち。
聞けば、もう10時だし今から登ると帰りはこのコースは日影になり気温が下がるという。にもかかわらず、私たちは半そでシャツで上着も持たない。だから8合目までで引き返すのが時間的には妥当なのだと。 理屈の通ったアドバイスがかっこよかった。
その日は忠実にこの山男の忠告に従った。とは言っても、八合目までの道すがら、見どころはふんだんに用意されている。登り始めて間もないダケカンバの大木、七つ釜滝、御田の湿原、雪解け水の小川、高山植物の群落などなど、歓声が尽きることはなかった。 目指す八合目、七つ釜避難小屋を過ぎ、康新道の分岐まで来た。残雪から滴り落ちる雫が小川を作り、あたりはハクサンコザクラの群落が白く咲きこぼれていた。
痛いくらいの冷たい流れに温くなったジュースを入れておくと、冷蔵庫で冷やすよりもよく冷えて、喉に心地よかった。もはや視界いっぱいに近付いた山頂をそこに仰ぎながら、しばらく景色を楽しみ私たちはそれでも満足して下山した。
今回は「そこに山があれば登れる」という考えを改め、どう登るかの計画と状況の変化に対応した準備が必要だという、極めて重要なことを学んだ。