エフエム秋田で登山のお話を収録。の、記念写真。
年3〜4回ほど収録でお邪魔しております。
毎回、内容案をお出ししそのたびにダメ出し
され凹むを繰り返すわけですが
そのダメ出しの理由は何かといえば
「万人向けではない」
交友関係も本棚も行動も
どっぷりと山に浸かっているわたしにとっての
「万人」という「常識」の土台が
「山」になっており、なかなかこの
マスメディアが相手をしている、
最大公約数の「万人像」がイメージできないのだ。
だから、
「専門的すぎる」のでボツる。
なるほどなあと考えさせられた。
なるほどなあと何に納得したかといえば
テレビなどマスメディアのツマラなさ。
これが面白いという人には
申し訳ないのだが、
芸人が出てきてわちゃわちゃしてたり
おバカキャラがつっこまれたり、
って何が面白くてテレビの前に
1時間なり2時間なり座らされるのか
よく分からない。
だがおそらくこの、
どんな老若男女でも確実に理解できる言葉や
笑い、薄っぺらさからくる気楽さが
「万人」に向けた共通項の答え。
「みんな」がそこそこ共有できるエンタメ。
わたしは本業はマーケティング部門で
仕事をしているのだが
企業活動において日本などの
成熟した市場では「万人向け」は
成立しにくい。簡単に言ってしまえば
魅力がないからだ。
日本の市場のほとんどではこの
「万人ウケ」開発は終わっている。
せいぜいテレビぐらいなものじゃないのかな。
万人向けっていうのは正直
クソつまらない。
誰も怒らないし、悲しまないし
心をえぐられる衝撃もない。
革新もない。
ひたすら波風立てずに
やんわりふんわりぼんやり。
過去の事例の上っ面の書き換え。
マスメディアのクソつまらない番組にも
十分に刺激的な映像があると言う人も
いるかもしれないのだが、それらは結局
お化け屋敷でお化けにぎゃっと
驚かせられるようなチープな刺激でしかない。
それを求める人というのは
果たして、今の日本にどのくらいいるのだろうか。
この成熟した日本社会で
マスメディアが思うほど、人々は
「万人」レベルに満足しているのだろうか?
わたしがラジオ収録の際に指摘されるのは
「万人にはそれ分からない」なのだが、その
分からないってなんだろう?
わたしは分からないことほど楽しいのだが。
万人というのは、じぶんの小さなモノサシを
後生大事に持ち続け、
人生のいつ何時も、その小さなモノサシで
事象を計り続ける人たちなのだろうか。
自分のモノサシでは計りきれない事象は
「わかんない」の一言で
拒絶しちゃうんだろうか。
マスメディアが想定する万人はおそらく
成長意欲もなく思考力もなくあるいは
疲れ切った人なのか?
それってむしろこの世の中、
少数派になりつつあって
逆にニッチ市場になってるんじゃないのか?
その証拠に「万人向け」の最たる年末の
紅白歌合戦の視聴率だったり、「万人向け」の
テレビドラマだったりするのでは?
その視聴率がメディアが想定する「万人」の
市場パイなのではなかろうか?
まあスポンサーあってのメディアだから
しょうがないといえばしょうがないのだが、
そろそろマスメディアもこの変化に
なんらかの答えを見出さなければ
淘汰されていくのだろうなあ。
話題になる番組って、そのあたりの
万人感を振り切っていたりする。
チコちゃんだって、一昔前なら
アウトぎりぎりだろうし、ブラタモリにしても
かなりマニアック。
そろそろ「万人」の定義を見直すか
もはや「万人」なんて存在しないのだと
切り捨てたっていいのじゃないだろうか。
万人向けのつまらないマスコミは私も同感です。
ひな壇に揃ったタレントは見たくもないし、刺激もありません。
もっぱら楽しみにしていたのはBS-3の海外ドラマ、それも英国製に限ります。
最高傑作は「刑事フォイル」で、次が「オックスフォードの事件簿」でした。
これらも最終回を終えてしまい、テレビを見たいという意欲?が無くなりました。
プロデューサーの手腕が生きています。丁寧な時代背景、あらすじ等日本の関係者も見習って欲しいです。